2010年10月24日 堺市栂 昇魂式 その1
7時24分、栂に到着。原山台東小学校前から栂へ向う途中に出会いました。
栂の村中へと向って行きます。
見晴らしの良い所まで出来ました。
紅白幕を少し進んだ所に会館があります。
この後、一旦休憩となります。
明治10年代新調 | 池尻町新調 (初代地車) |
→昭和5年 | 八阪町へ (四十有余年) |
→昭和22年頃 | 春木若松町へ (約十七年) |
→昭和47年 | 春木旭町へ |
→昭和48年 | 吉井町へ (十三年) |
⇒昭和61年 | 栂へ |
栂にて二十五年間曳行 | |
→平成23年 | 日置荘西町東部へ |
腰廻りは3段
大連子→小連子→土呂幕の正順 (縁板と土呂幕下の間にも厚板が追加されています。大修理時に追加?)
見送り内には筒柱。又、見送り連子は段差が施されています。
栂といえば臙脂の交差旗、さらに竿頭は桜。新地車にも受け継がれるといいですね。
特徴ある後旗、黒チチ・フチの水引幕、そして屋根の飾金具・懸魚・小屋根切妻・腰廻り3段・見送り廻りと時代を感じさせる地車で味があります。
(昭和53年頃、吉井町時代に大修理?)
大修理時に組物を3段程追加(?)
後旗はすべて幟。(出屋敷町も同様で両側が御祭礼旗、中央が刺繍旗になっています)
両側の幟が無地。(新調までの沼町が白チチ・フチでそうでした。昭和時代では多々見られたタイプ?)
交差旗は裏面が無地になっています。
屋根の飾金具や小屋根切妻・小屋根大唐破風は今では大修理等で殆ど見れらなくなりましが、昭和50年代頃では少なくなかったかと。
(現在では前者は橋本の原田、小原田、角田。そして後者は神石市之町、大澤町等が同タイプ)
その2へ (曳行)