その2
紙屋町の宮入用後旗
房の部分は画像・映像では判別しにくいので撮影出来て良かったです。
宮入前の大手門は、この交差点を境に地車が向かい合ったりして普段は見れない貴重な光景かと。
旧市の宮入幟はS50年代から今まで使用されてそうな町もあるので見ていて飽きないです。
隅には「堺」と「可」の刺繍
堺町の宮入用後旗。よく見ると御祭礼の字体に金縁取りがされていました。
下の隅には「勝」がありました。
堺町の吹きチリはH4年新調(?)。
以前も黒チチ、そして無字。ラインは細→大太の順でチチ下のラシャ部分は控えめ幅。房が黒なのが特徴だったかと。
中北町。宮入幟は以前のデザインと継承。
中北町の吹きチリと言えば、先代時の赤チチでライン無し。そして無字、さらに黒房のイメージが強い。
太めの金縄が印象的
もし屋根を前後逆にしていたら車板等も逆になるのでしょうか。
梨色系の房色は稀有ですね。
中北町の後には南町が待機。毎年、疎開道→中町下り→濱筋→別寅→船津橋というルートで来ているのかな。
別寅上りでは本町が休憩中でした。
本年新調の後旗。パレード時と宮入前は裏面を向けます。
9時56分、出発。
船津橋方面へ向かいます。
本町といえば大工方の浴衣
H20年、金縄新調。(玉も?)
個人的には幟は黒チチ・フチ派です。ここ最近流行ってきたかも。
10時12分、南上町が来ました。
今年でコナカラ坂を登るのは4年目。
今年は城内にて中北町と南上町が並ぶという貴重な年となった。(夫婦岩兄弟?)
大北町の後旗一式
S62年?町名旗新調(下地:白→紺)、平成10年町名旗(下地:紺→白)、幟新調?(字体変更)、吹きチリ新調