2013年9月22日 堺市鳳地区 3町曳き (野代・新在家・濱寺元町)

 
15時25分、新在家に戻ってくると、濱寺元町・新在家・野代の3台が休憩中でした。
15時28分、野代が出発
野代地車保存会 / 野城会 若頭 / 野代拾伍人組 / 野代青年団
新在家の献灯台が新設されています。
本年、井上工務店にて修理を行った新在家
背中に紋&元町のみのシンプルな法被デザインとなり以前と雰囲気が変わりました。
各団体の襟が大幅に変わっています。青年団と少年団はそのままですが、

子どもさん方やその廻りに付く方、世話人にあたる方々は、濱寺元町 ⇒ 御祭礼&保存会

雛壇に乗る曳行関連の役職の方々は、濱寺元町 ⇒ 若頭 (若頭を創設?)

後梃子の方々は、御祭礼&梃子 ⇒ 弐拾人組 に替わっている
梃子掛けも新調 / 又、緑の下地・黄色系の文字枠だった青年団や組の襷のデザインも一新。




修理前は梃子掛け付近から担ぎ棒を固定する金具が付いていたが取り外されている

又、桁類と縁隅木の飾金具が修理前後で替わっている
 
    提灯のデザインも変わるのかな

510&ブルドッグの角へ。
元町は入りも出も止め回し
   全団体の法被の襟にも入っている<下>の印文(書体)。かつての下村からの由来でしょうか。
 
タスキの表面の意匠は、(法被背中の)松の意匠と(前途の)<下>の印文意匠の掛け合わせ
   新しくなった松の意匠。扉のペイントが手直しされた地車庫にも新しい法被の紋が入れられている。
3町は少し進んで左折、区画整理内を廻ってきて元の広い道へ出てきました。しばらく3台で詰め合った後、野代が出てきました。
やりまわし
新在家のやりまわし
宵宮夕方(金)と本宮朝(土)の野代乗り入れ町は、ここの角をやりまわししたりするのか気になる所。
殿の元町
昭和63年(1988)新調、今年で新調25周年を迎えます。
角は止め回しでしたが、この直後、猛ダッシュで駆け抜けていきました。
 
 この後、3台で羽衣線高架下周辺まで行って解散の様です。
 
鳳地区の本祭は見に行けないことが多く、日中の元町・野代・新在家を見れて良かったです。
私はここまで見て小阪へ
 

modified 2013/9/26