平成元年まで使われていた後旗
桑原町や観音寺町と同系統の幟ですが、少し宮本町の方がアレンジ感があるような気がしました。(チチの太さとか)
近くで見るとふわふわ感のある輪郭がこれまたイイ感じ。
特徴的な陰橘の紋。
八幡町の先代町名旗も陰橘に木瓜、そして町を冠さず「八幡」とあった。
(私的に八幡町の陰橘は輪郭がより太いようにも映像では感じた)
この陰橘の編まれ方がなんとも繊細に感じました。
2種類の貴重な写真が飾られていました。
左側は昭和52年7月の修理記念の写真。(この時に後旗を新調?特徴ある懸魚そして二重破風で垂木は8本)
右側は5年後の昭和57年8月の修理記念の写真。(地車化粧は同じで入母屋となる。垂木は6本)
昭和42年の地車購入時は切妻?だったのでしょうかね。(明治20年代新調)
鬼板から掲げられた駒札、そして房。より黄色がかった交差旗のフレンジなど時代を感じさせます。
パッチの裾IN足袋もこの時代ならではですね。
こういう味のある町名旗ホント良かです。
写真から察するに後梃子の方々が角文字「宮本」、それ以外の方々は屋根の形状の法被だったのかな。
一番右の法被にも陰橘がありますね。
先代の纏と歴代の法被。
S59に桑原町、S61年に観音寺町が大修理しているので宮本町がモチーフ?。
S52年に新調されたとして35年経った今でも綺麗な状態でした。
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