2008年10月19日(日) 堺市上石津 抜魂式
この日は、堺市上石津の抜魂式が行なわれました。
8時半、現地到着。しばらくして地車がやってきました。
化粧はされていませんが、関係者の方々は正装です。
平成8年に春木若松町から購入。本格的な地車の購入は55年ぶりとなりました。
地車としては主に「上石津」という旧称を採用しています。
明治22年に上石津村・市村・踞尾村が合併して一村を成し、神石村を形成。(かつての前者の石津郷と後者2者の神野荘より一字を取った)
石津郷は後に石津村となり、さらに上石津と下石津に分かれた。(下石津は、船尾村・下村と合併し濱寺町となっています)。
昭和54年、春木若松町時代に大修理。現在の姿見となりました。
その際の大修理時に、大屋根の組物が1段追加されています。
この後少し間、後と前で曳き合いをしていました。
8時36分、石津神社前へ出てきました。
流します
平成13年には植山工務店にて修理を行っています。(5月20日入魂式)
一昨年までは、大屋根に房を付けていました。
そして神社境内へ。
石津神社には、上石津と神石市之町。そして浜石の布団太鼓が宮入を行ないます。
(下石津は氏子が異なります。かつての古地図では、小栗街道を中心に上石津。紀州街道を中心に下石津の村々が形成。)
地車の宮入に関して、H15年?上石津が土曜から日曜に変更。
平成19年に神石市之町が日曜から土曜に変更しました。
(しばらくの間は2台一緒に宮入していましたが現在は別々となる)
提灯は5段、正面提灯10個。
平成14年までは「上石津」と書かれた提灯を採用していた様ですが、翌年より「石津」の右上に小さく「上」と書いた提灯を採用している様です。
(裏面は、丸に三つ柏紋)
平成19年若頭会より、参拾人組を創設。
紋として、丸に三つ柏紋以外に、軍配も採用しているようです。
最後に、「石津町」という名称は、垂れ幕やエリ・大工方の法被等でも採用されている様ですね。